ミーハーの代表として50万人の一人としてオリンピック凱旋パレードを観て
ほぼ熱中症の頭で書きますのでぼけているかも。
卓球の愛ちゃんが「こんなに多くの"方"が・・」と美しい表現をしていたのが
良かったですね。お母さんの教育の成果でしょう
門外漢が、(ルーマニアで日本語を教えようとした若い日本の女性の事件が
あり、悲しく、タイミングが悪いのですが)日本語教育学会国際大会(名古屋)
に行ってきましたので少し書きます。
・・・・・・・・・・・
50周年を記念する事業は大変盛況でした。関係者の方々ご苦労さまでした。
人手が足りないのかIさんが水を配っているのが印象的でした。
今回は海外から発言者に来て頂いたために、経費が掛かったので仕方が
無いのかも知れませんが、日本語科の学生やボランティアの方々に
参加しやすい様な金額にして頂ければ(二日目だけは半額とか)聴衆の
少ない寂しい口頭発表の教室などなかったのではと思いました。
多くの方々が研究していて、ポスター発表、口頭発表、パネルセッション、
シンポジウム計800以上で、とても全部は観る(聴く)ことは不可能。
習得なら習得、教材なら教材で独自の会を開けばより深くなるのでは。
(USBメモリーで頂いた予稿集だけで1GBを超えています)
あちこちで繰り広げられるのは、久しぶりに会った旧知の方々の挨拶のシーン。
これも重要な役目かもしれないが、ポスター発表で一生懸命、1時間、
目いっぱいに声を張り上げ頑張っていた人たちの話を聴いた人は、新しい
出会いを作っていました。
口頭発表が、説明20分、質疑応答10分では発表者・聴衆双方に消化不良感が
残っていたのでは。
また、関心のある発表が時間的にぶつかってしまい、残念。
前述の通り、800以上もの発表ではとても会全体の感想など言えませんが
10年近く研究した結果をうまくまとめたもの、目からうろこのアイデア、
詰めの甘いものなどいろいろで、時間が欲しいと思いました。
閉会式のH氏のコメントに(メモしておりませんので言葉は不正確)
「これまでは内輪の集まりだったが、今回を機にこれからはもっと外に働きかける活動を」
とありました。
全く、その通りだと思います。
真夏の開催、そして、ポスター発表が芋の子を洗うような狭い中で行われた、
という条件は別として、発表者の熱気は伝わってきましたが、一歩、学外に
出ると、その熱気は外気の暑さの中に溶け込んでしまい、あの内部の熱気は
外部には全く伝わっていません。
中日新聞は"日本語教育「東南アジアでの現状報告」"
という題で大会の一部のシンポジウムを取り上げていましたが、それを超えて
書いてもらえれば・・中国・韓国との摩擦が大きくなった今こそ日本への理解度を
上げるために日本語教育の重要さを訴える絶好の機会であったはず。
WEBでは見つかりませんでしたが、他のメディアで取り上げてくれたのでしょうか。
今回、欠席された水谷修さんの講演「これからの50年を見通して」の趣旨に
「日本語教育の位置づけについて,日本の社会の中には,まだ明確な哲学がないと思う。」
とあります。
社会に日本語・日本語教育を認知してもらう際には、日本語教育の果たすべき
役割を、単なる言語教育を超えて、文化を伝え、相手に日本を知ってもらうことで
(同時に相手も知ることで)国家間の摩擦を減らし、安全保障にもつながり、また、
経済的なつながりにも大いに役立つことなども伝える必要があります。
この意味で日本語教育関係者以外の人々を巻き込み、理解を促進する努力が
不可欠だと思います。当然マスコミも。
これからの5年(50年では時間が掛り過ぎ)は外に"向かう"ことを大きな目標の
一つとして前進されることを。
暑い中お疲れ様、今後も頑張ってください。
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