2011/10/24

「カダフィは俺が殺した」、リビアの若い戦闘員の動画がネットに

多くの反体制派を殺害し続けていたであろう独裁者が、また、つかまり殺されました。
(*今回も、チャウシェスク大統領の時のように証拠隠滅の意味があるかも知れません)
ムアマル・カダフィが2011年10月22日に処刑?されたことは数多く報道されていますが、一つだけURLを。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2836618/7972792
2011年5月2日に殺害されたウサーマ・ビン・ラーディンそれよりずっと前、1989年12月22日に殺害されたルーマニアのチャウシェスク大統領処刑のニュースなどを聞いたときも抱いた気持があります。
それは「犯罪者にはSOL(Sanctity of Life「生命の神聖さ」)が無いのだろうか」ということです。
きっと、これまで圧制の下で苦しんでいた人たちが解放され、彼らにとって安心できる生活が送れる国が出来るのでしょうし、その意味では「喜ばしい」ことなのかも知れませんが、本音は殺して良かったのだろうか、と。
自分が当事者でない(家族を殺されたわけではないし自分もその中にいるわけではない)からかも知れませんが、その話を聞いたとたん良かったと思うどころか「あっ!殺害してしまった!」と思いましたし、こんな殺害の仕方をすると、独裁の時代と同じことを自分たちがやっているとは思わないのか、とも。
身内や愛する人を殺されたらその考えは変わるかもしれませんが、もしかしたら、自分が変わっているのか・・。
命を絶つことは、当然、独裁者にも許されたものではないし、我々も彼の命を絶つことをしてはいけない、と思うのです。
今週から11月10日まで出張の連続なのでその間も悩み続けます。

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