2008年のリーマンショックから4年。
その間に、ブラジル人コミュニティがどのように変わったかを外国人集住都市である岐阜県美濃加茂市からの朝日新聞記者が
報告しています。
◆補助縮小、自立を模索
リーマンショックでブラジル人が激減したこともあり、
これまではブラジル人中心だったNPO法人「ブラジル友の会」の活動も
>「多文化交流の拠点」としての役割を強めようとしている。
しかし
>国の緊急雇用創出事業の期限が終了したため、補助金はこれまでの5分の1程度に減額
>資金繰りをどうするか。関係者が頭を抱えるなか、会を支えようと、市内の外国人たちがセンター内のテナントに次々と出店した。
美濃加茂華友会の山田亜光(ヤー・グァン)代表(32)は「美濃加茂市にはたくさんの外国人がいる。多文化交流に関心を持つ人たちがもっと気軽に訪れる場所にしたい」。ブラジル友の会の渡辺マルセロ理事(33)は「ここは大切な拠点。知恵を出し合い、みんなで維持していきたい」と話す。
◆各種学校で高校生増
今年各種学校になったブラジル人学校「イザキ・ニュートン・カレッジ」
では
>日本の学校から転入した生徒を対象に、放課後に毎日4時間、母国語が
不自由な生徒たちに、ポルトガル語の補習授業が行われる
>生徒たちは卒業後、本国で進学するか、日本で就職する例がほとんどだという。だが今春、卒業生が初めて県内の短大に進学した。これを受けて日本での進学を希望する生徒が増え、選択肢が広がった
◆記者の視点…日本社会で夢と自信を持って
>「日本に住む日系人の子どもたちは自己肯定感が低い」と「ブラジル友の会」の渡辺さんは指摘する。工場勤務、教師、通訳など、知っている職業の幅が狭く、将来を描きにくい状況にあるという。
来年は岐阜県からブラジルへの移民100周年。渡辺さんたちは、海外で活躍した県ゆかりの100人を取材し、まとめる計画だ。自身のルーツを知り、子どもたちに夢と自信を持ってもらうためだ。
「外国人だから」と萎縮していた経験が私にもある。勇気づけてくれたのは行政や団体の人たちだった。多くの外国人が住む県内で、今後も様々な取り組みを取材できればと思う。
http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000551206110001
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