【ワシントン宮崎昌治】東日本大震災で、発生直後に最大規模の海外部隊として被災地入りした米国の消防救援チーム「フェアファクス捜索救助隊」。隊員の一人に、日本人の母親を持つレックス・ストリックランドさん(38)がいた。出動前には、礼儀を重んじる日本文化を隊員にレクチャーしたほか、活動に必要な日本語をアルファベットに直したメモを作成、隊員たちに配っていた。
3月11日未明、バージニア州の自宅で就寝中のストリックランドさんは自動災害通知システムのアラーム音にたたき起こされた。「日本で巨大地震発生」。すぐにCNNテレビをつけ、近くに住む母親に電話、親類の安否確認をするとともに、出動準備を始めた。
派遣された隊員約70人の現場指揮官。途中、ロサンゼルスのチーム約70人と合流し、13日に米軍三沢基地に到着、岩手県大船渡市に入った。
米政府が海外での救援活動を要請する精鋭2チームの一員。ハイチの大地震、ナイロビの米大使館爆破事件、「9・11テロ」では航空機が激突した国防総省。数々の修羅場を経験したストリックランドさんも、津波で跡形をなくした大船渡の惨状に声を失った。
日本で生まれ、6歳まで神奈川県藤沢市で育った。病状が悪化した祖父を見舞い、1月に日本に行ったばかりだった。
出動前、ストリックランドさんは機材を積み込む倉庫で、きめ細かな日本での立ち居振る舞い方を隊員たちに教えた。深くお辞儀し、目をみて話し、名刺は両手で渡すこと…。「隊員はフットボール選手みたいにガッツむきだしの集団。しかし、日本では礼儀を重んじることが大事だ」
2枚つづりのメモには、通訳がいなくても現場で日本人と最低限の意思疎通ができるよう、「何が必要ですか」「どこが痛いですか」といった言葉を選び、発音が近いアルファベットに直してびっしりと書き込んだ。合流したロサンゼルスの部隊からも「ぜひ欲しい」と言われ、メモは米チーム全員がポケットに入れ、現場に入った。
4日間の捜索で、隊員たちはおにぎりを差し入れ、撤収時には道に並んでお辞儀をする被災者の姿に驚き、感動した。
生存者は発見できなかった。だが「遺体を捜し出し、待っている家族に届けることはできた。自分が生まれ、母の国である日本で、込み上げてくる感情を胸に活動に当たった」。そう振り返った。
=2011/05/29付 西日本新聞朝刊=
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