2011/05/31

スイス : 私たちが日本に駆けつけた

特に多文化に関する話ではありませんが、いつものSwissInfoに震災に救助に来てくれたスイス隊のことがでていました。
オレンジ色のユニフォームに身を固めたスイスの救助隊は専門家の集まりかと思っていましたが、ショーラーさんは花屋を経営している方であることに驚きました。
・・・
「今回仕事を休んでまでボランティアで救助に行ったのかとの問いには
「人道援助の大切さは、訓練の中で徐々に学んでいった。命を失う危険性もあるが、その覚悟も訓練を通じて獲得していった。覚悟はできている。日本の経験は大変だったが、これからも続けていきたい」
ときっぱりとした答えが戻ってくる。それに日本で家族を探す人たちから何度もお礼を言われたことが心に残る。」
また、ボランティアは自然なこととして
「なぜ、人道援助を身の危険を冒してまで、ボランティアでやるのかと自分に尋ねたことはない。スイスは国際赤十字委員会発祥の地。人道援助はスイスの伝統であり、文化だ。自然にこの活動に入った」
現地を去るときふと頭をよぎる思い出のようなものがいつもある。日本の場合は二つあった。一つは
「津波で全壊した地域で3人の男性を見た。それぞれがビニール袋を下げて肩を落として歩いていた。残ったのは袋の中身だけで、それ以外は全てを失ったのだろう。家族や友人もさえも。私には、全てが安全にスイスに残っている。その絶対なる違いが心を打った」

もう一つは、東京テレビが救助活動を撮影したときのことだ。
「なぜこんなにも遠くから助けに来てくれたのかと尋ねられた。家族や友人を失う悲しみや安否を気遣う気持ちは世界中同じだからだと答えたら、記者の目から涙が溢れた。そのとき日本人が抱えている苦しみが伝わってきた。日本人と繋がった気がした。みんなつらいときは同じなのだと」
こう語るホルニスベルガーさんの瞳にも涙が滲む。
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=30358342

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