◇「未来、開ける」
【マニラ矢野純一】日比経済連携協定(EPA)に基づく、フィリピン人看護師・介護士の求人が、受け入れ枠の半分にも満たない状況になっている。一方、日本での国籍取得が比較的容易な、日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれ、フィリピンで暮らす新日系人に、日本語を教え、ヘルパーとして日本の介護施設へ送り込む動きが本格化してきた。幼少時に別れた父親との再会と、日本で働くことを夢見る一人の女性の思いを聞いた。
マニラ市近郊のビルの一室で、21人の新日系人が日本語を学んでいた。日常会話が十分にできるレベルの日本語能力試験(N2)を目指し1年間、ここで学んだ後、日本の介護施設でヘルパーとして働くためだ。
「これで私の未来が開ける」。この教室で学ぶアリエガ・ツダさん(18)が語った。
新日系人をヘルパーとして日本に送り込む動きはこれまでにもあったが、まとまった求人先を事前に確保し、フィリピン国内で1年間、日本語を教えて送り出す取り組みは初めてだ。日本の福祉関連会社が1月から本格的に事業を始め、参加者を募集。100人以上の応募があり、アリエガさんは21人の中に選ばれた。
日本で飲食店従業員として働いていたフィリピン人の母と、建築関係の仕事をしていた日本人の間に生まれた。母が出産で帰国したため、アリエガさんはフィリピンで生まれ、一度も日本に行ったことはない。
両親は結婚はしていなかったが、3歳のころまで、父は頻繁にフィリピンに会いに来てくれていた。フィリピンの出生証明書には父の名が書かれ、父から届いた手紙が何通もある。しかしその後、連絡は途絶え、母は昨年、白血病で死亡した。父に抱かれて一緒に撮った写真が唯一、父の記憶をとどめてきた。
父からの仕送りが途絶えたため、三度の食事をとれないときもあった。学校では、「日本人の子」といじめられた。高校を卒業後は、病気がちの母と7歳下の義理の妹の学費を稼ぐため、月2400ペソ(約4500円)の給料で、朝の4時から八百屋で働いた。手はガサガサで、いくつもの小さなひび割れが痛々しい。
日本行きのチャンスを人づてに聞き、面接に応募した。日本人の父親に認知されていれば、日本の国籍取得はスムーズに進むが、アリエガさんは日本人の父親には認知されていない。送り主となるこの福祉関連会社の弁護士が、出生証明書や父から送られてきた手紙の住所を基に国籍取得を進めている。「父に会えたら、私をまだ愛しているのかを知りたい」と語り、涙をぬぐった。
◇国家試験、高いハードル 看護師・介護士の求人、目標割れ
新日系人を送り出す新たな動きの背景には、EPAの枠組みに限界があるためだ。EPAに基づく日本側からの求人は今年、介護士85人、看護師102人の計187人にとどまり、日比両政府が目標とした最大受け入れ人数の500人を大きく下回っている。
これについて、受け入れあっせん機関の国際厚生事業団は「日本の施設では、不景気で日本人の求職者が増え、外国人を受け入れる必要性がなくなったため求人が減った」と説明した。しかし、日本の介護施設関係者は「EPAは使い勝手が悪い」と指摘し、日本側のメリットの少なさを強調した。
EPAで受け入れた介護士は、国家試験に合格しないと4年で帰国しなければならない。日本人と同じ試験を受けるため、漢字など日本語のハードルが高い。フィリピン人介護士が受験するのは13年からだが、EPAの枠組みで来日し、すでに受験資格を満たしているインドネシア・フィリピン人看護師の国家試験の合格者はわずか3人だった。恒常的に人手不足の介護施設にとって、育て上げた介護士が、数年で帰国するのは大きな痛手だ。
一方、新日系人の場合は、両親に婚姻関係が無くても、子供が日本の父親に認知されれば日本の国籍を取得できる。フィリピン人の母親も、日本国籍を取得した子供とともに、養育責任者として、日本で在留資格を取得できる。EPAとは異なり、ハードルが高い国家試験の介護福祉士ではなく、ヘルパーの資格で長く働くことができる。
フィリピンで暮らす新日系人の実数は不明だが、10万人以上はいるといわれる。新日系人の送り出し事業を手がける福祉関連会社の代表は利点について、「国籍取得を支援して日本で暮らせる基盤をつくることができるうえ、日本の介護施設の人手不足解消にも寄与できる」と話した。
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■ことば
◇新日系人
日本人とフィリピン人の間で戦後、生まれた子供。父親が日本人のケースが大半で、養育や認知を拒否され、多くの子供が母親の母国で貧しい暮らしを強いられている。08年12月の国籍法改正で、日本人の父親に認知されれば、日本国籍の取得が可能となった。だが、フィリピンの出生証明書に日本人の父の名が記載されていないケースが多く、記載があっても認知されていないケースが大半だ。Source: 毎日新聞
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