2011/02/20

忙中閑あり:銀ブラの語源は「銀座でブラジルコーヒーを飲む」?



「「銀ブラ」というと銀座をブラブラすることだと思っていたのだが、その語源は「銀座でブラジルコーヒーを飲む」ということらしい。大正時代、慶応の学生が言い始めたそうだ。本当か? さらに調べを進めると、その語源となったブラジルコーヒーを出す店が現在も銀座にあるのだそうだ。これは行ってみなければ、というわけで真偽のほどを確かめに銀座に向かった。」

Source:  Ameba News

■「銀ブラ」の語源を探りにカフェーパウリスタへ行ってみた

ネットをあれこれ検索していると、銀ブラの語源についての記述があった。「銀ブラ」というと銀座をブラブラすることだと思っていたのだが、その語源は「銀座でブラジルコーヒーを飲む」ということらしい。大正時代、慶応の学生が言い始めたそうだ。本当か? さらに調べを進めると、その語源となったブラジルコーヒーを出す店が現在も銀座にあるのだそうだ。これは行ってみなければ、というわけで真偽のほどを確かめに銀座に向かった。

■カフェーパウリスタへ行ってみた

「銀ブラ」の語源となったカフェーパウリスタは銀座八丁目、中央通り沿いにあった。さっそく、店長の谷沢さんに話をうかがう。谷沢さんは昭和47年生まれの男性である。当然ながら、当時の状況を知っているわけではない。そこで一冊の本を取り出し見せてくれた。『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた―カフェーパウリスタ物語』(文園社)、著者はカフェーパウリスタの先代社長である長谷川泰三氏である。この本をパラパラめくって見せる谷沢店長。そこには、

「銀ブラ」の語源は銀座でブラジル珈琲!?

という見出しがあった。その章を読んでみると画家の水島爾保布(みずしまにおう)が書いた『新東京繁昌記』、評論家の安藤更生が書いた『銀座細見』から「銀ブラ」という言葉が大正時代、慶応の学生によって生み出されたという記述があることを紹介している。さらに作家の小島政二郎が書いた『甘肌』より、その造語が小島の同級生である成毛五十六という人物によって命名されたとあるそうだ。なるほど、これだけの文献資料があるなら納得せざるを得ない。

■ジョン・レノンがコーヒーを3杯おかわりした

カフェーパウリスタの創業は1909年(明治42年)。今年で102年目ということになるわけだが、その間に多くの著名人がこの店に通っている。かつて、カフェーパウリスタは今の交詢社(銀座六丁目)の向かいあたりにあった。大正時代には菊池寛、正宗白鳥、芥川龍之介、久保田万太郎、広津和郎、佐藤春夫、獅子文六といった文学者が多く出入りしていたらしい。その関係で、昔を懐かしむ人たちがこの店を訪れるのも少なくないそうだ。

店長の谷沢さんが、「最近ではジョン・レノンさんでしょうかね」と言う。えっ、あのジョン・レノンもここに来たのか。思わず、どの席に座ったんですかと聞いてしまった。真ん中のあの間仕切りがある手前だと言う。ジョン・レノンはオノ・ヨーコとともにここに通ったらしい。時にはブルーマウンテンを3杯おかわりしたこともあるそうだ。銀ブラからジョン・レノンまで歴史のある店なのだ。

ちなみにこの店でコーヒーを飲むと「銀ブラ証明書」をくれる。スタンプカードになっていて、10回スタンプを押してもらうと、コーヒー一杯が無料となるものだ。さあ、銀ブラに出かけてみようではないか。

【散歩:増田 剛己】

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