先日「共感疲労」について書いておられた香山さんの話です。今回は「葬式鬱病」・・。
また、長くなりますが少し引用させて頂きます。
オリジナルは登録(無料)しなければ読めないかも知れません。
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■復興ナショナリズムの危険性
・・いま「復興ナショナリズム」とでも言うべき風潮が蔓延しています。
言うまでもなく、被災地の復興が急がれることは誰の目にも明らかです。しかし、・・・ 被災された方にとっての復興は、元の生活を取り戻すことです。そうした切実な思いが、復興ナショナリズムによって忘れ去られてしまわないかという危惧を抱いています。
疑問を感じているもう一点は、「われわれは日本人なんだから一緒に頑張ろうぜ」という雰囲気が強まり過ぎていることです。・・・例えばその後に「(なんちゃって)」「(笑)」「いまはこう言うしかないよね、ポリポリ」というような、気持ちだけは残しておきたいものです。
■葬式躁病に陥るニッポン
前回は「共感疲労」についてお話ししました・・・人間は、究極の不安が襲ってきたとき、むしろ高揚状態になることがある。
非常事態に直面し、迫り来る恐怖や不安に向き合うのを避けるための反動、これを精神医学の用語では「葬式躁病」と言います。
こうした高揚感は防衛反応だということを認識しておかないで、本当に元気だと思ってしまうと、あとでしっぺ返しが来ます。
■現実を見ることからしか始まらない
助かる見込みのない患者に、医者が「大丈夫、助かりますよ」と言うように、国民を安心させて現実から目をそむけさせるよう仕向けてきた。この積み重ねです。
医療の世界では、患者にバッドニュースでも告知するのが常識になりつつあります。「インフォームド・コンセント」とは、患者にとってどれだけ辛い情報でも伝えたうえで、患者も納得して治療を進めることです。真実を伝えると患者はそのときは混乱したとしても、時間や周囲のサポートが助けとなり、それなりに受け入れるものです。養子縁組の世界でも、いまは引き取った子どもに真実を伝えるのが条件になっています。
ごまかしからは、何も生まれないし、始まりません。
もちろん、悪い現実を簡単に受け入れられるほど人は強くありません。・・そのため、精神の安定を保つためには、一時的にも現実逃避が必要です。
現実を直視するのは辛いものです。それほど現実が辛ければ、現実逃避が自分を守るために有効になりますが、その後は現実と向き合うことがどうしても必要になります。それは時間をかけてでもいい。後回しにしてもいいですが、いつかそれと向き合うことになる覚悟はしておいたほうがいいかもしれません。
■震災前からやっていたことを継続しよう
被災地で、自分以外の家族四人を亡くした高校三年生と出会いました。
家族全員がいなくなった状況で、大学なんかに行っている場合じゃないという見方もあるでしょう。でも、大学に行きたいというのは震災の前から彼が思っていたことで、震災によってその気持ちが変わったわけではありません。震災によって全部が変わってしまったと考えるのではなく、やろうと思っていたことは、続けられるなら続けていいのです。
決して無理をする必要はないですが、震災前からやってきたことを継続するのは重要なことです。寝る前に1時間読書をする習慣のあった人なら、こんなときでもそれを続ける。日頃の日常生活を無理せず自分の意思とペースで営んでいた人ほど、大きな出来事があっても、日常の営みを続けられるものです。
人間は、マイナーチェンジは可能です。・・。しかし、・・・一つの出来事で人格が入れ替わるほどの変化はとても危険です。
同じニュースを見ても、いろいろな反応を示す人がいるのが健全な社会です。
義援金を出さないでも、ボランティアに行かないでもいいのです。人それぞれ出番は、いずれ必ず訪れます。その時のためにいまは力を蓄えておこうという人がいてもいいし、むしろみんなが疲れきってしまったときに大きな力を発揮できるかもしれません。その「いずれ」は、半年先か、3年後あるいは10年後かもしれません。
いまは自分のために時間を使って将来に備えるという選択も、決して悪いことではないのです。
http://diamond.jp/articles/-/11932
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