2011/04/29

「オレってただ乗り?」 震災で広まった“不要不急”症候群

被災地から遠く離れた地域のサラリーマンも
価値を問われているという話。
できれば日経BPのメンバーになって全文を読んで
頂いてはどうでしょう。
一部を引用させて頂いています。
このメイルは仕事ではないのでやってます・・・
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110426/219664/?ST=print
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「オレってただ乗り?」 震災で広まった"不要不急"症候群
それってやっぱり社内失業なの?
・・その人の本当の仕事の価値や、その人の仕事ぶりというのは、他人からは判断のつきにくいものなのだ。
ところが、3月11日以降、事情が少々変わってきた。
「あれ? オレって、ひょっとしてただ乗りだったのか?」
自分の仕事の価値に、自分の存在価値に、こう疑問を感じてしまった人たちがいる。
「不要不急の仕事、つまり、重要でも急ぎでもない仕事の場合、会社に来なくていい」と、会社から自宅待機の指示を受けて、「オレの仕事は不要不急なのか」とショックを受けたというのだ。
「要するに、オレの仕事はすべて、重要でもなければ、急ぎでもなかった。これまで忙しいと思っていたのも幻想だったのか。ひょっとして、これは社内失業しているってことなのかって、何だかどうしようもない気分になりまして。完全に自信喪失です」
「自宅待機」なのに、気がつけば彼は会社に向かっていた
「這ってでも来い!」と言われれば、「休ませてくれよ!」と思うのに、「休みなさい」と言われて、「はい、休みます」とは素直に思えなかった人たち。
忙しい人=仕事ができる人、ヒマな人=仕事ができない人、という思い込みから、「僕、ヒマなんです」とはなかなか言えない。
・・・仕事の量が少なかろうと、仕事の質が低かろうと、自分がやるべき仕事があれば、それは「会社にとって必要な人」であることに変わりはないというわけだ。
だから、「僕の仕事は不要不急なのか」などと落ち込むことも、「僕は存在価値がないのか」などと心配しなくてもいい。
「今、すぐにやらなくてはならない、重要な仕事」、すなわち、衣食住に直結する「今それがないと生きていけない」仕事が、不要不急であるとすれば、いったいどれほどそんな仕事が、世の中にあるのだろうか? いったいどれだけの人が、そんな仕事に就いているのだろうか?
つまり、世の中、不要不急の仕事だらけ。世間は、不要不急の仕事にかかわっている人だらけ。忙しそうに動き回っている人の仕事だって、不要不急の仕事の山なのかもしれないのだ。強いて言えば、救急救命医くらいしか、常に急ぎで重要な仕事などないのかもしれない、などと思ったりもする。
本当に不要なものは次第に淘汰される
「どうせオレの仕事は、たいして重要な仕事じゃない」という思いで働いていると、その仕事は本当に「重要でない仕事」に成り下がる。
「どうせオレはたいした仕事も任されない、存在価値のないヤツだ」と思って働いていると、本当に存在価値のない人になってしまうことがある。
東日本大震災は、さまざまな形で、「あなたがそこにいる意味」を問いかけた。
「自分に何ができるか?」「自分にできることは何か?」と、誰もが自分が「ここにいる意味」をまさしく自問した。
自分のいる意味を問うのはしんどい作業だ。仕事の場合はなおさらだろう。だが、もし「オレの仕事って不要不急なのか」と疑問を感じてしまったのなら、今こそ、目の前の仕事に正面から向き合い、それに価値を持たせられるような働き方をすることだ。意味を見いだすのではなく、意味を問い続ける。その方が重要なのではないだろうか。

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