2011/04/25

「かわいそうな被災者」という勝手なイメージを押しつけてはいけない

香山リカさんの文章です。
適当に短くしましたので、関心のある方はできれば
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■忘れ去られた被災者たち
4月14日、仙台空港が再開した日に、取材で再び被災地を訪れました。
被災地の方たちの心の問題は、目に見える復興とはズレが生じていると感じました。
空港の再開を最優先したために、人手と重機はすべて空港に持っていかれたといいます。近辺の小さな町には、空港の再開とは裏腹に、復興が手つかずのまま放置されているという皮肉な現実がありました。
被災地の外から支援に来る人や企業はクローズアップされても、地元で支援をする商店や企業のことが語られていません。むしろ、家屋も社屋も工場も被害から免れたため保障が受けられず、材料が入らない、お客さんが来ないという三重苦に喘いでいます。
■「支援」は被災者のためというより自分のためにやるもの
被災地には人の数だけ問題がある・・。
被害の情況もまちまちであれば、負った悲しみや苦しみへの思いも人それぞれです。それをあたかも、被災地にいる人がすべて同じような苦しみに喘いでいるかのように、一様に「頑張ろう」と言われても、それぞれの被災者の方のこころに届くのだろうか。そんな疑問を感じます。
東京に限らず、いろいろなところでチャリティーイベントが開かれています。
それは被災地のそれぞれの人の事情とはまったく関係のないところで行われていることを自覚することは大切でしょう。
ただ、被災地の人を想って何かをするのは、基本的に自分のためであること。いてもたってもいられなくなる。これはきっと被災地の人に役立つはずだ。その善意の思い込みは、それぞれの方々に必ずしも合わないこともあり、善意の押し付けになってしまいます。このことに気がつかないと「やってあげているのに」と恩着せがましくなってしまう恐れがあります。
■被災地にいる人をステレオタイプで見てしまう
ネット上で被災者に対する批判が見られるようになってきました。被災者がいま欲しい物を要求しただけで「何でももらおうとする」「要求が多い」というのです。
被災地にいた人は、全員が人格にすぐれた人であるはずはありません。もともと図々しい人も、だらしない人も、人に素直に対応できない人も、意地悪な人も打算的な人もいるはずです。そのような人がたまたま被災したことで、それまでの人格がすべて一新され、純粋で善良な人に変わることなどあり得ないのです。前回書いたように、人は急に変らないものです。
「辛い情況に健気に耐える善良な人たち」
私たちは、被災者に対してこんな像を作ってしまっていないでしょうか。今回の被災者は東北の人が多いので、お話を聞いていると確かに謙虚で純粋な方も多いです。ただ、その像にマッチした人を取り上げるマスコミの姿勢との相乗効果で、そうした「被災者人格」のようなものが増幅されている感は否めません。
自分たちが勝手に作り上げたイメージを少しでも外れると、「許せない」と叩く。ステレオタイプな物の見方を否定されると、途端に腹を立てるのです。被災者に対する支援者の態度が、こうした方向に進んでいる恐れがあります。
■長い休みを使って気を紛らわすことも必要
被災地の多くの人は「ありがたい」と口にします。とはいえ「がんばれといっても、これ以上何をがんばればいいのかねぇ」とため息を漏らす人もいます。被災者にとってはピントの外れた支援にも、感謝の言葉を並べなければならないのが現状なのです。
タレントのミッツ・マングローブさんが最近出したCDのプロモーションで「昭和の歌謡曲でも聞いて、ひととき気を紛らせてください」
ミッツさんの「気を紛らわしてください」という言い方は、とても誠実だと思いました。そして、気を紛らわすというのはとても大事なことだと改めて気づきました。
原発問題をはじめ、日本の社会のありようについては、超長期にわたって考え続けていかなければならない問題です。だからこそ、現実逃避をすることでこころを平静な状態に戻すべきだと思います。
ひとときだけでも気を紛らし、現実逃避をすることによって、再び現実に戻ったときにこれまでと違った向き合い方ができるようになっているかもしれません。
Diamond

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