何故匿名なのか分かりませんが、タイの山岳民族の子どもたちに日本語を教える活動に参加した方が書かれたものです。
日本で教科の勉強に追いつくために日本語を学ばねばならない状況とは異なりますが、日本語教育の違った側面を気づかされる文章です。
「日本語教育の意義・意味について、真剣に考えた。この山岳民族の子どもたちが多く集まる地域では、日本語を覚えても、実際の生活の中で彼らが日本語を活用する機会はほとんどない。しかし、現地NGOは多くの小学校(現在は3校)で日本語の授業を行っている。週に一回の授業であり、子どもたちの中にも非常に日本語・日本に興味を持ち、学んでくれる子と、一つの授業として出席している子に分かれる。私は授業を受け持つ中で、どうして彼らに日本語教育が必要なのかと考えた。私の見解では、現地NGOが求めているものは、子どもたちに日本語を身につけてもらうことが目的ではなく、日本語の授業や日本人との交流を通して、少しでも海外に興味関心を広げることを目標にしていることである。」
そういえば、サンパウロの中川郷子博士が宇都宮大学国際学部 多文化公共圏センター年報第3号(2010)の中で報告されておられるブラジル帰国児童生徒の日本語教育継続について「ブラジル調査の対象者のほとんどは市州立学校に通っており、日本語教育を受ける生徒はわずか3%である」
という事実に一度は驚いたものの、合目的に考えず、発達途中で一生懸命に学ぶことが重要なことであるはず、と自分なりに納得したことを思い出しました。
http://bit.ly/yS3AN6
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