2011/11/29

マイノリティ言語としての手話(すみません長めです・・)

桜美林の佐々木先生の話では聴覚障害者として、障害者手帳を持っている34万3千人。
日本のろう学校の先生の大多数は聴者でろう児の認知発達をうながせるレベルの手話、教科を教えられるれべるの手話を使うことは出来ず、日本語にちょっと手指単語をつけるだけで、
「手話で教えている」としているとのことでした。
これまでそのような実態は知りませんでした。
確かにセミナーで拝見したビデオでは、カナダで中心になっていたのはろうの先生方でした。
本来そうあるべきで、早く改善するようにしなければ・・ろう学校は文科省の管轄でしょうか、地方自治体でしょうか。
この分野についても学ばねば。
少し異なるかも知れませんが、今回のセミナーで思い出したのは見城先生たちが活動されておられる「えんぴつの会」に伺った時にお会いした、同様にマイノリティの非識字者の方々ことです。
「現在の社会は、成員が文字のよみかき能力をもつことを前提につくられ、運営されている。」
「文字がもつ「空気と同等の価値」は、文字それ自体に由来するものではない。つまり、文字にたかい価値があり、その結果、非識字者に対する差別がうみだされているのは、「社会がそのようにしている」からである。文字の価値と非識字者差別は社会が作り出したものである。」
(「識字の社会言語学」かどやひでのり:生活書院)
非識字者に対しては「文字」
ろう話者に対しては「日本語」
をどう位置付けるかを再考する必要を感じ、コミュニケーションの
ユニバーサル化が私たちの目指さなければならない事なのだと認識
しました。
個人的なことですが、これまで「バイリアフリー」だ、とやってきた
事が、自己満足であったか、と反省しています。
2004年に制作された映画「天国の本屋」(竹内結子さんに主役を
やってもらいました。舞台では小雪さんに)のバリアフリー上映会を
やりました。
そのときにセリフや情景描写をテロップにしてもらい、当社で働いて
おられるろう話者の代表の方にチェックをお願いしました。
制作会社は頑張って情景描写を文字にしてくれたのですが
「ガシャッ!」
「ブゥ〜!」
など、画面に映っておらず画面外の出来事が音だけで表されている
シーンへの配慮が全くなされていなかったことが分かりました。
上記はそれぞれ
・引き戸を強く閉める音
・自動車が走り去る音
なのですが、ろう話者はそのような音は聞いた事は無いのです。
擬音語などありえないのに気付かなかった、という情けない話でしたが、
これが一般的だと思います。
また、ピアノトリオの曲を集めたCDのシリーズをこれまで6枚作り
ケースに点字を付け、演奏家の方の曲の解説も収録しましたが、
果たして、目の見えない方々に分かりやすい言葉を使っていたのか、
言葉の使い方が適切だったのか見直す必要があることも感じました。
下記はご参考まで(必要あれば連絡をとります):
ところで、そのバリアフリー上映会には多くの方の協力を得ました。
パイオニアからは聴覚障害者の方々が音を体感する特別な装置
(音を骨で聞く・・体感音響システム)を持ち込んで頂きました。
http://pioneer.jp/citizen/karadadekikou/about/index.html
視覚障害者の方々もご招待したのですが、そのときは音声ガイドの
NPOであるCity Lightsの方々に音声ガイドをお願いしました。
http://www.ne.jp/asahi/city/lights/
当時は日本語教育などに触れていなかったのですが、この
ような方々からの協力を得れば新しい技術・技法も見つかるかも
知れないと、いまさらながら思いました。

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