2011/06/02

香山リカ : 起きてしまった現実を「なかったこと」にして、乗り越えられるのか

香山さんの文章です

今回は日本人の心の中にある「なかったことにしよう」という気持ちのこと。

「これから数年、あるいは十数年かかるかもしれません。一時的な興奮状態のなかで何をしたかということではなく、興奮状態が冷めたいまこそ、私たちに何ができるかということが問われてくるのです。」
は、その通り。

日本人と韓国・朝鮮、中国その他アジアの人たちと戦争責任についての考え方が違うのが、この
「なかったことにしよう」という気持ちだったのか。
また
「現在進行形で起きている原発問題ですら、もはや「なかったこと」にしようという人たちがいるのが現状です。差し迫った状況にあるにもかかわらず、被災者支援や原発問題の終息に全力を傾けるのではなく、これを政局に利用しようとする政治家さえいます。」
は、日本人の習性を利用して操ろうとすること。
この長期に亘る問題は安易に「なかったこと」にしては
いけない。

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起きてしまった現実を「なかったこと」にして、乗り越えられるのか
■中途半端な状態をどう扱っていいかわからず「なかったことにする」
浜岡原発の稼働停止根拠である東海地震が起こる確率
など曖昧で白黒つけにくい問題に対して、日本人はとても
脆くなっている。
やがて考えることに疲れてしまうと、いっそのことそんな数字など
「見なかったこと」にして、マンションも買えば、会社も起業する
といった長期的な行動を選択する元の生活に何事もなかったかのように
戻っていく。

■日本人に脈々と受け継がれる「なかったこと」にする姿勢
過剰になった熱を冷まし、こころを落ち着かせ、これから先のことを
冷静に考えるためにたまには現実逃避は必要。しかし、熱が冷め過ぎ、
震災などまるで「なかったかのよう」に振る舞い、考えることすらやめて
しまった人が増えているようだが、日本人の欠点である
「振れ幅が激し過ぎる」ことの顕著な表れ。

「日本人は、これまでも「なかったこと」にする態度をとり続けてきました。
小泉自民党を熱狂的に支えた人が、そんなことなどなかったかのように鳩山民主党政権を誕生させ、それさえもなかったかのように民主党批判を展開しています。投票した自分にも責任があり、叱咤しながらも支え続けるという考えは微塵もありません。
さかのぼれば、明治維新のときの構造も同じです。それまでまげを結んでいた人が、急激に西洋化を受け容れていく。太平洋戦争後も、鬼畜米英と叫んでいた人たちが、あっと言う間にアメリカ一辺倒になっていく。そういう意味で言えば、「なかったこと」にすることによって、日本人は時代に適応してきたのかもしれません。
・・・
戦争責任にしたところで・・ 日本人としてはとっくに「なかったこと」にした問題で、「なかったこと」にしない外国人がいつまでも責任を問い続けることを、多くの日本人は感覚的にわからないのです。」

■現実を「なかったこと」にするのではなく、受容したうえで再構築する
がんに冒された不幸ばかりを思い悩んだり、がんを患ったことを
「なかったこと」としながら生きるのではなく、がんという病気を
自ら受け入れ、その上で自分の生活を再構築するのが、最も建設的。

「大切な人を亡くした場合も同じ考え方です。
悲しみを受容し、自分のなかで現実を咀嚼できたら、最愛の人が傍らにいない生活に組み替えていくのが、グリーフワーク(悲嘆からの回復)の理想的な方法です。このとき、病気や最愛の人が亡くなったことを「なかったこと」にしないのが大前提です。
精神分析学的にも、自分に起こったトラウマを直視せず「なかったこと」にしてしまうと、やがてそのトラウマは回帰し、神経症の症状となって戻ってきます。これがフロイトの基本的な疾病理解で、だからこそ「なかったこと」にはできないというのがフロイトの立場です。」
「震災直後の非日常が終わり、本当の復興期に入っていくのはこれからです。
これから数年、あるいは十数年かかるかもしれません。一時的な興奮状態のなかで何をしたかということではなく、興奮状態が冷めたいまこそ、私たちに何ができるかということが問われてくるのです。
そんなとき、「なかったこと」にする姿勢で臨んでいては、これから先の長い復興を乗り切ることができないのでしょう。」

http://diamond.jp/articles/-/12554 <http://diamond.jp/articles/-/12554>

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