2011/02/02

ハワイ移民:豊見城市教委が現地調査 「村人會記録」を託される

【豊見城】豊見城市教育委員会文化課は「豊見城市史移民編」の編さんに向けた昨年のハワイ調査で、1935~74年の約40年間にわたり豊見城村人会の活動がつづられた「豊見城村人會記録簿」を同会から託された。記録簿には終戦後の46年、困窮する故郷を支援するために、救済策を協議した記述や、48年に豊見城村(当時)の児童へ贈る学用品を荷造りした記録などが収められている。
 ハワイでの調査は8~10月。豊見城村人会の会則や寺院で撮影した村出身者の葬儀の集合写真なども託された。移民編担当嘱託員の赤嶺みゆきさんは「ハワイでのトミグスクンチュの動きを見ることができる大変貴重な資料。資料の内容を詳しく調べ、移民編へ収録したい」と話している。
 市文化課によると、豊見城村(当時)からハワイへの移民は1904年に始まった。39年までに744人が移住し、サトウキビ農業などに従事した。現在は4、5世が多いという。
 記録簿には村人会が発足した際の役員名も記載。
 終戦後の47年11月23日付では「豊見城村にある学校の児童を救済しなければならないので(中略)12月1日から手わけして寄付金募集することを協議する」などと記入し、後半では学用品を送る際に「座安学校600人、上田学校900人、嘉数学校500人」と児童数と思われる記録も残っている。
 聞き取りは120人に会い2世を中心に66人から証言を得た。移民編担当嘱託員の鳥山やよいさんは「終戦後、字保栄茂へ伝統芸能の衣装を贈った村出身者の遺族から、荷造りの様子をうかがうこともできた」と話した。
 移民編は2014年に発刊する。
(高江洲洋子)
(琉球新報)
Source: 毎日新聞

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