2011/02/28

多文化主義の今後=精神科医・斎藤環

2月27日の毎日新聞に斎藤環氏によって書かれたものです
ここで言う攻撃とは「移民の不寛容さ」への攻撃です。
ポイントだけ
・近年EU(ヨーロッパ連合)諸国において、多文化主義の旗色は次第に悪くなりつつある。
2010年10月にドイツのメルケル首相の「ドイツの多文化主義は完全に失敗した」と発言
2011年2月5日にイギリスのキャメロン首相はドイツで「イギリスでの多文化主義は失敗した」と述べた。
イギリスはこれまで、国民一般の価値観と正反対の行動をとるコミュニティーすらも許容してきた。にもかかわらず、国内の若いイスラム教徒が過激思想に感化されて、テロに走るケースが相次いでいる。彼の発言は、このことを念頭においてのものだ。
キャメロン氏は同じ講演で、異なる価値観を無批判に受け入れる「受動的な寛容社会」ではなく、民主主義や平等、言論の自由、信教の自由といった自由主義的価値観を推進する「積極的で力強い自由主義」を目指すべきだとの考え方を示している。
直後に突然なされたムバラク政権打倒後のエジプト訪問も、民主化と自由主義への流れを推進する意図があったようだ。
・これら一連の発言は日本でも報道され、民主党の移民受け入れ政策に批判的な層などからは「そら見たことか」と言わんばかりの声が上がりはじめている。移民などに寛容な政策がどうなるか、その末路を見ろ、というわけだ。
しかし、本当にそうなのだろうか? 移民の増加はともかくとして、キャメロン氏の言う若いイスラム教徒のテロまでもが、本当に多文化主義政策の産物なのだろうか?
・多文化主義政策をきちんと実施するにはコストがかかる。カネをかけずにただ放置するだけでは、分断がいっそう進んでしまうおそれがあるのだ。
異質な文化を尊重しようというのなら、その文化を育む最低限の基盤となるような、一定以上の規模を持つ共同体が必要となるということだろう。単に放任のみでは共同体はまとまらない。文化的なまとまりを持つ共同体を育むことも、適切な多文化主義政策の一環なのである。
もはやわれわれは寛容であるために、単に受け身と放任だけでは足りないのかもしれない。自由主義という枠組みのもとで、時には不寛容さへの攻撃をも辞さない積極性において、擁護されるべきもの。そのようなものとしての多文化主義ならば、十分なコストと時間をかけるに値する、と私は考えている。
Source: 毎日新聞

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