2011/01/04

日系人との懸け橋に

神父、支援「当たり前」

「手をつないで」「どうやったら上手に滑れるん?」。福山市東深津町のスケート場で、カトリック三原教会(三原市東町)のイタリア人神父、アルナルド・ネグリさん(49)を囲んでにぎやかな子どもたちの輪が出来た。

 福山市松永地区や三原、竹原両市などから集まった、ブラジルやペルー国籍の親を持つ日系人の子ども約30人。ネグリさんは毎週土曜、仕事で忙しい親に代わって子どもたちを遊ばせるなど、日系人の支援活動を10年以上続けている。ミサの後、公園でキャッチボールやサッカーをする。冬にはスケート、夏にはプールで水泳をすることもある。

 来日したのは1992年、31歳の時だった。「貧しい国に行って人々を救いたい」と考えていたので、母国の神学校で日本への派遣を告げられた時は不本意だった。

 東京都府中市の教会で1年間日本語を学んだ後、広島市西区の観音町教会へ赴任。バブル崩壊の影響で仕事を失った多くの日系外国人に出会った。「豊かに見える日本に、こんなに貧しく困っている人がいる。彼らのために尽くさなくてはいけない」と決意した。

 母語のイタリア語、そして英語、日本語に加えて、日系ブラジル人のシスターからポルトガル語を習い、その後にスペイン語も習得。兵庫県加古川市などの教会を経て、99年に福山市昭和町の福山教会に赴任したのを機に、松永地区の子どもたちとの交流を始め、2003年に三原に移ってからも続いた。

 親の世代からの相談も多く寄せられる。「会社を解雇された」「日本人と金銭トラブルになったので調停の際に通訳をしてほしい」。病院に付き添ってがんの告知を通訳したり、家を失った人を教会に泊めたりしたこともある。携帯電話に連絡が入り、駆けつけることもしばしばだ。

 竹原市の日系ペルー人、マルタ・チキヤさん(35)は「神父はハローワークに電話して、仕事を探すのを手伝ってくれた。とても助かった」と片言の日本語で話した。

 福山市内には2010年11月末現在、ブラジル人、ペルー人計780人が外国人登録をしている。うち8割の629人は松永地区で暮らす。1990年の入管法改正で、日系2、3世やその配偶者は定住ビザを取得できるようになり、多くの人が工場で働くためにやって来た。

 市生活相談課で嘱託職員として20年以上、日系人らの相談を担当する田中真佐子さん(52)は「当初は同じ工場で働く人が多かったが今は就労先もばらばら。世代交代が進んだこともあって日系人同士の結びつきは弱まっている」と指摘する。

 市は2010年2月、日系人と日本人が、一緒にサンバを踊ったり和太鼓を演奏したりする多文化交流イベントを初めて開いた。市西部市民センター(福山市松永町)で外国人向けの日本語教室を開いているが、特に日本語が話せない大人は孤立しがちだという。

 そんな中だからこそ、「行政でサポートしきれない部分を手助けしてくれている」と、田中さんはネグリさんの活動を評価する。


 「私は当たり前のことをしているだけ。これからも彼らを支え続け、日本人との懸け橋になりたい」。

 ネグリさんは穏やかにほほ笑んだ。

(佐藤行彦)

(2011年1月5日 読売新聞)

子どもの手を引いて氷上を滑るネグリさん(中)。「笑顔を見るのが楽しみ」という(福山市東深津町で)

LINK: 読売新聞

0 件のコメント:

コメントを投稿