2011/04/12

東洋経済 : 東日本大震災、在日フィリピン人被災者が直面する苦難、自宅を失い、同僚とも連絡が取れず

東洋経済からの転載です。
「外国人被災者の生活は困難を極めている。それでも、「地元に残って生活を立て直す」(佐々木アメリアさん)と決意を固める人は少なくない。それほどまで外国人の多くは、地域に根ざした生活を送ってきた。」
「法務省の在留外国人統計によれば、宮城県内の外国人登録者数(2009年12月末)は1万6500人。うち中国人7549人、韓国・朝鮮人4439人、フィリピン人1039人などとなっている。3月11日に起きた東日本大震災では、外国人も大きな被害を受けた。」
この数値古いので下記の推移を参照下さい。
左から    2009年末、2011年3月15日、2011年3月31日
登録者総数      16,500  →  15,865人  → 14,402人
中国人          7,549  →   7,196人 →  6,173人
韓国・朝鮮人      4,439人 →   4,312人 →  4,165人
フィリピン人       1,039人 →   1,003人 →  958人
「フィリピンの親が心配して電話をかけてきたが、「帰国したくてもおカネがない」と話す。モナソンさんが東京のフィリピン大使館に電話をかけたところ、「(東京までの)バス代は出すが、フィリピンまでの航空券は自分で用意してほしいと言われた」。
このフィリピン人のこれまでの生活は
確かに「地域に根ざした生活」です。
「南三陸町でも3人のフィリピン人女性に会った。最年長の佐々木アメリアさんは、夫および3人の子どもと暮らす。地元の小学校で英語の教員を務めるかたわら、フィリピン人女性の世話役を務めている。斎藤ジュリエットさんは、夫とともに、わかめやあわび、うになどを取る「海女さんの仕事をしている」。千葉ノルメリータさんは夫が経営するモーテルを手伝う。」」
東洋経済

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